誰でも変われる、変えられると思うな

 何らかの習い事をする場合、

通常やるのは

先生か指導者の

お手本を見せてもらって、

そのお手本をなぞることによって

習得するものです。

お習字が良い例です。

お手本の上に

練習用の紙を重ねて、

透けて見えるお手本をなぞることで、

筆の持ち方や動かし方という

基本的なことから学んでいくものです。

ところが、

このような

小手先の

基本的な

技能のようなことなら、

このような方法で

十分目的は達成できるのですが、

人間の心とか精神と申しますか、

魂の世界と言っても良いかと思いますが、

人間性そのものとか、

霊魂の世界のこととなりますと、

これが

いろいろな

複雑な要素が絡んできますので、

とても

一筋縄ではいかないという、

やっかいな問題になってしまうのです。

特に

人を育てるというのは

非常に難しいことで、

能力開発とか

人材育成に携わっている

私のような者にとっては、

極めて悩ましい課題になるのであります。

古くからよく行われてきた方法では、

まず、

自分が生まれ変わったように変わって

手本を示すと、

人は生まれながらにして

学ぶことができるように

作られているのですから、

まともな人間ならば、

良い手本・見本を示されれば、

それに学ぶことができます。

さらに進むと、

学んだことを

自分のこととして、

自主的に実行できるようになれます。

ただし、

悲しい現実があります。

事実ですから致し方ないのですが、

いくら良いお手本を目の前で見せても、

他人事のように眺めているだけの人がいます。

そういう人は現実にいます。

仕方のないことですが、

自分のこととして

受けとめることができない人は

いるのです。

例えば、

「なかなかできることじゃあないよ」と、

四方山話のネタにするくらいが関の山で、

「あの人だからできること。」

「私には、関係ないこと。」

「私は私で生きていく」

といったようなことで、

まるで

学習能力が

ないのではないかと

思われる人間もいるのです。

そして

もっと悪いことに、

天敵にでも出遭ったかのように

敵意を

むき出しにして

攻撃してくる者も出て参ります。

それというのも

ごく自然な出来事でありまして、

卑しい心というか

邪心に満たされた人間は、

どこにでも

必ずいるもので、

いわゆる

嫉妬心というか、

自分よりも優位な立場に立つ者や、

目立つ者に対して、

本能的に

攻撃しては

撃退してしまおうとする人間もいるのです。

だからと言って、

その敵とみなす者よりも

優れた状況を

創造できるかと言うと、

そうではなくて、

破壊し尽くすことに快感を感じる人間もいる

ということなのです。

こういう人間とは

徹底的に戦って

殲滅しなければ、

何度排除したとしても、

必ず

報復してくるので、

まさに

悪魔の使いのような存在ですが、

現実に

そのような類の人間は、

必ず

どこにでも

潜んでいるのです。

私の東京のお客様にも、

そのような

天敵のように

お客様を攻撃する者がおりましたが、

その会社では、

私のお客様を守るために、

海外の子会社に転勤させるという方法で、

その危機を回避してくれました。

こういうことは

よくあることで、

私が勤めていた会社でも、

シンガポールの子会社に

一時避難させられた先輩もいます。

残念なことですが、

人間の中には

生まれながらの悪人とは

必ず存在するのです。

それも、結構な数にのぼります。

そして、

このような人間は

極めて強力なパワーを持っておりまして、

私の経験では、

真言密教の修行者の方が

同僚の方と

二人掛かりで

一か月もの間、

毎晩

山奥の滝に打たれながら、

お祓いをしてくださっても、

一向に祓うことができなかったことがあります。

ここまでお話ししたことは

人間の目には見えない世界で

展開されていることで、

九州の片田舎の、

どこにでもあるような

住宅地の一角で起こっていることです。

見た目には何の変哲もない住宅地です。

古代から伝わる

神話あたりに登場する人物の中にも、

悪魔の使いとか、

生まれながらの

邪悪な人間というのも出て参ります。

原始儒教でも

孔子」に続く「孟子」は

性善説を唱えましたが、

荀子」は

逆に

性悪説を唱えました。

同じ人間を観る場合においても、

観方を変えれば、

まるで

正反対の性分を持った人間像が

浮かび上がってくるわけです。

私たちが生きている世の中には、

このように

古代から現代にいたるまで、

悪人もいれば

善人もいるし、

悪人が心を入れ替えて善人になったり、

善人が悪の権化のように豹変したり、

何とも悩ましい現実があるわけであります。

さらに言えば、

同じ人間の中に

悪魔と天使が

同時に

住み着いていて、

本人は

一所懸命

何かに励もうとしていても、

悪魔に魅入られて、

悪魔のささやきを聞いてしまって、

悪魔の思い通りに、

怠け心が起こったり、

邪悪な思いを抱いたり、

残虐な犯罪を犯したりするという

考え方もございます。

いずれにしましても、

こういう人には近付かないほうが無難です。

いつまでもそういう人に、

まともに関わっていたら、

そういう人は

良くない『気』を放っていますので、

善人は悪影響を受けるばかりで、

疲れたり、

ストレスがたまって

病気になってしまいます。

こういう悪影響を受けるのは、

善人と決まっております。

なぜならば、

古代から伝わる

治乱興亡の歴史が示すように、

善人は

世の中から排除されて

孤立するもので

(あの有名な孔子がその好例です)、

悪人は

必ず

徒党を組んで

善人を攻撃するという歴史を、

凝りもしないで

繰り返してきたのが

人類の偽らざる歴史であるからです。

これは

洋の東西を問わない事実です。

また、

よく引き合いに出される話ですが、

『類は友を呼ぶ』と言います。

なぜかというと、

同類の人間同士は話が合うからです。

行動パターンも似たり寄ったりですから、

仲間ができやすいのです。

レベルの高い人とか

高潔な人と話しても

話題についていけないし、

趣味も高尚ですから

ついていけません。

読む本も違えば、

情報源も違います。

これが同じレベルの人間同士とか、

価値観や人生観までも

似たり寄ったりなら、

一緒に旅行に行ってもいいくらいの

仲良しになれるものです。

そんな仲良しが

突然

レベルの高い人みたいなことを言ったり、

聖人君子がやるようなことをやり始めると、

仲間を失い

自分だけが

取り残される恐怖から逃れるために、

その友達の足を引っ張るのです。

「止めとけ失敗するぞ。

友達をなくすぞ。

お前らしくもないことをするな」。

こんなことを言うような、

よろしくない友達とは縁を切ることです。

ましてや、

先ほどご紹介した、

あからさまに

人を攻撃するような悪人には、

決して近づかないことです。

あるいは、

良い手本・見本を示されて、

受け止めることはできても、

実行に移すことができない人もいます。

そういう人は、

何を学んでも、

昨日までの自分を、

今日も

明日も

なぞるだけの、

進歩も成長もできないまま

一生を終える人です。

以前の私がそうでした。

大方の人がこの類でしょう。

朝から夜遅くまで働いて、

家に帰ったらグッタリ疲れて

何もする気にならない。

もし、

日記を書いていたとすれば、

『昨日と同じ』で、

おしまいになるような生活の繰り返しです。

よほどの

ショックを受けるような

危機感を抱くような出来事があったり、

私のように、

突然のリストラで

失業でもしない限り、

その生活から抜け出せないし、

その気力もない。

余暇は疲れを取るのが精一杯です。

しかし、

今の状況を

何とか

改善したい、

自分を成長させたいと思う人は

やっているのです。

自らに教育投資をして

自分自身を向上させよう、

自分の人生を

少しでもましなものにしようという

意欲のある人は、

コツコツと

地道に

自己訓練を

しているのです。

なんらかの

自己啓発や能力開発の本や

プログラムを購入したり、

セミナーを受講したりして、

自己啓発に励んでいるのです。

あの、

『金持ち父さんのキャッシュフロー・クワドラント』

を書いたロバート・キヨサキは、

その著書の中で、

右側のクワドラント

(ビジネスオーナーや投資家)

の世界に生きるためには、

ものごとの受けとめ方の違いから

解釈の仕方の違いや、

事実と意見の違いを見極めることができるか、

できないか

といったことに到るまで、

金持ちになれる人と

貧乏なまま死んでいく人との違いを

見事に

語り尽くしてくれました。

この本を読んだからといって、

具体的な起業の方法や

投資の方法が分かるわけではないのですが、

少なくとも、

人間としてのあり方くらいなら

学ぶことはできるでしょう。

この本は、

彼の

一連の

『金持ち父さん』シリーズの本の、

門前にいたる

参道あたりの

歩き方を教えた程度の本であります。

彼のシリーズの本は

実に沢山ありまして、

それも

彼一流の

世界戦略に基づく作品群であります。

ところが、

自己訓練をするにしても、

これが

なかなか進まないか、

長続きしません。

上手なやり方があるのですが、

それを教えてくれる人はいないか、

いたとしても、

料金が高くて払えないとか、

忙しくて時間が取れないという

言い訳を言うのが、

右側のクワドラントに

移ることができない人だというのですから、

普通の人にとっては、

左側から右側のクワドラントに移るのは、

至難の技であるわけです。

致し方ありません。

他人に雇われて、

汗水たらして

馬車馬のように

死ぬまで

一生働かなければならない

大勢の人たちや、

中小企業とか個人事業主のお陰で、

世の中全体が、

何とか廻っているのですから・・・。

このお話は、

ロバート・キヨサキが定義した、

金持ちと貧乏人との間に

厳然として存在する、

高い壁を越えられるか否かのお話ですが、

実によく観察し、

分析したものであります。

私は、

最初に

『金持ち父さん貧乏父さん』を読んで以来、

もう

二度と

他人から雇われて働く貧乏人にはならないと、

固く決意をしたものでした。

そして、

シリーズの続編の

ほとんどを読破して以来、

究極の投資家になることを目指して、

自己再生の道を歩み始めました。

すると、

一時は

小さな成功に喜んだのもつかの間、

見事に破綻してしまいました。

今は

再度、

自己再生の道を

歩んでいるところです。

今後とも、

何度でも

失敗をするでしょうが、

クリス岡崎さんの

『億万長者専門学校』で、

三日三晩の

視覚・聴覚・体感覚を

総動員してやる、

楽しいゲームばかりをやらせるコースを

終了しているだけに、

やっぱり

こうやって

何度も

試練を与えられるのだ

ということが、

全身の

細胞のレベルに到るまで、

身にしみて

感じるようになりました。

ですから、

今後は、

数をこなせば良いわけです。

失敗ばかりの訓練期間を

過ごしているようなものですが、

最近の失敗の繰り返しの中から、

ようやく

投資の極意の

ほんの一部の感触が

つかめたような感じがしております。

今からは

その感触が

実際の投資活動の現場で活かせるのか

というのが最大のテーマです。

不動産投資については、

まだ

一度も

試しておりませんので、

これも

そろそろ

始めてみようか、

というところです。

まだまだ、

学ばなければならないことは

気が遠くなるほどあります。

誰でも

変われる、

変えられると思ったら、

大間違いのようです。

養老孟司さんの本の帯にも書いてありました。

『話せばわかるというのは大ウソ』