なんだなんだ

アスペルガーブログからいただきました。

定型アスペに関係なく、

非常に厳しい環境に置かれ、自分を否定され続けてきた人の感覚は、そうでない人の感覚とものすごく深いところで違いが生まれてきてしまうのではないかという気がするのです。

定型でも、たとえば悲劇的な事態で親を失ったり、あるいは身体的な障がいを負ってひどい差別を受け続け、誰も本当には自分の味方にはなってくれず、むしろ迫害者の側、差別する側に回られたり、よくてもあわれみをかけられるだけだったりするような世界で生きざるを得なかった場合、その大変さは私の想像を超えます。

そういう経験を避けられた人間は、いくらその大変さを語られてもなかなか本当には実感しにくいことですから、どうしてもその受け止め方が表面的になってしまいます。そしてそういう表面的な受け止め方、理解の仕方のレベルで応答すると、相手からすれば全く理解していない!と感じられることがあってもある意味当然でしょう。

カサンドラも同じことですよね。アスペのパートナーを持った定型が体験する想像を絶するような苦しみを、その経験がない定型の人はピンとこない。そして自分の経験の範囲でそれを理解するから、実に浅い表面的な理解になって、当人の苦しみの深さに全然届かない。その結果、周りの人から自分の苦しみを理解されなくてカサンドラになったりするわけです。

定型アスペ間に生まれがちな対立には、定型とアスペの違いから生まれるということ以前に、経験内容のシビアさが共有されにくいということが一般的に大きく効いてくる部分があるのではないか、ということを思うわけです。

甘え

そういう風に言われると、当事者はみんな本当につらいわけです。

これはですから定型アスペ問題と言うよりも、もっと一般的なことですね。いわゆる強者と弱者の間に起こりやすい対立のような。ただそういうことが定型アスペ問題ではよくおこりやすい、とは言えます

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昨日、門を19時過ぎに出た。

夫に電話すると既に帰宅していて、、

明日俺は健康診断だから19時半までに夕飯食べなきゃいけない。何時に帰れるの

という。

えっ!今初めて聞いた。

ご飯はタイマーセットしてきたし、煮物も鍋ごと冷蔵庫。納豆もある。

19時半は無理。今初めて聞いたんだけどというと

今初めて言ったんだとブチ。

(i)

20時にお皿にご飯もおかずものせてだした。

旗でも立ててやりたい心境で。

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今朝。

夫お弁当はあるの?

持っていくの?じゃあるもの詰めるよ

夫朝ごはん要らないってば!

だからお弁当にそれ詰めるわよ

夫やっぱり要らない

そう、わかった

夫ねぇ!お弁当ないの?

持っていくのね?じゃ詰めるよ

夫じゃあいい!要らない

あ、そ

夫お弁当作らないの?ないの?

どっちなのよ!方針決まったら言って

夫俺が悪いって言うの?俺を責めるの?

以前なら、、ここでそっちがはっきりしないからでしょと言い返し

夫が爆発し朝から喧嘩になった。

しかしアスペルガーとは何じゃ??を学び、、少しづつ私の中で無駄に疲弊しないようにしようと

諦めと悟りができた。

朝は喧嘩したくない仕事に響く。怒鳴られるとどもりが出そうになったり失語っぽくなったりする。

返事せず無言でソファに移動しコーヒー飲んでいたら

ぷんぷんして出勤した。

ガキだな。

しかし

アスペルガーだよ。

帰宅したら夫が先にいて

おかえりなさーいだって。

グリコの鯛めしでセットしたおこわも

ちゃんとスイッチオフにして混ぜてあったわ

金曜日のアスペ君。心の余裕。