カウンセリングを受けるということ

岡田斗司夫ゼミ3月1日号『4タイプ別ダメ人間決定戦!!』

https://www.youtube.com/watch?v=6RjlnFV9NNY

上の動画の44分ごろから46分あたりまでの悩み相談への返答は、カウンセリングというものの一面を示している。

相談の内容は、相談者は車を運転していて、危ない運転をしている人が多くてイライラしてしょうがない。何か良い案はないでしょうか・・・といったものだ。

この相談に対する岡田斗司夫の返答を書き起こすと以下のようになる。

「えー、ハギワラさん悩みはわかりました。世の中に例えばウチの母親はなんとかなりませんでしょうか。ウチの子供はなんとかなりませんでしょうか。という悩みはいっぱいあるんですけど、それが解決したって話を僕は聞いたことがない。僕一応ですね、朝日新聞でですね、悩みのるつぼっていうのを三年以上やってるんですけどね。その時に自分の中で鉄則にしているのが、ウチの母親をどうにかしてください。ウチの親をどうにかしてください。ウチの子供をどうにかしてください、というのに対して、徹底的にその人がやれることしか答えないってことやってるんですね。それをしないと絶対にへんになるんです。なのでハギワラさんの悩みに関しては申し訳ないんだけども、人の迷惑を考えない運転する人が多くて、ストレスがたまりますというのに対しては、ストレスがたまる自分をなんとかすべきだと言うしかないですね。黄色でも止まらず直進する人がいてそりゃ、危ないなって、その人をなんで信号一回も待てないんだろうかって思っちゃうと永遠にストレスたまるばっかりですよ。なので、何かいい案はないでしょうか、というのに関しては、お前が気にするなというですね、一番\xA4

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朝日新聞だったらもう少し技巧をこらして答えると思うんですけどね。まあ、あのー、ニコ生ですので、シンプルにお前が気にするなと、世の中の悩みというのはですね。他人をなんとかしようとするのは全部ダメ、自分でなんとかするしかないです。」

・徹底的にその人がやれることしか答えない。

カウンセラーは他人である。その人との人生のかかわりは、基本的にカウンセリング中に限定したものになる。だから、その人の悩みごとの解決にアプローチできるとすれば、その人のできることを答えるしかない。それは至極真っ当な解答に思える。

「徹底的にその人がやれることしか答えないってことやってるんですね。」の後に、「それをしないと絶対にへんになるんです。」と続く。相談者とカウンセラーの関係以上のこと、その人ができること以上のことに口を挟む。他人であり、部外者であるカウンセラーがそれをすれば、矛盾が生じてくることは自然なことだろう。「へん」になってしまうことだろう。

・お前が気にするな

後に続く解答として、

「ストレスがたまりますというのに対しては、ストレスがたまる自分をなんとかすべきだと言うしかないですね。」

とある。

「何かいい案はないでしょうか、というのに関しては、お前が気にするなというですね」

と続く。

「徹底的にその人のやれること」しか答えないとあり、そして、その回答は上のようなものである。今回のケースにおいては、「徹底的にその人のやれること」は「お前が気にするな」という解答となるということだろう。また、別の悩みごとであれば、解答は違ったものになるのかもしれない。しかし、また、このようにも続く。

「世の中の悩みというのはですね。他人をなんとかしようとするのは全部ダメ、自分でなんとかするしかないです。」

その人のできることのうち、最もその人に身近で、変化可能なものは、その人の心のあり様、物事の受け止め方であろう。カウンセラーと相談者という狭く閉じられた関係の中で、アプローチの第一に上がるものがここに行き着くことは自然な成り行きと言える。

「その人のできること」をアドバイスするとしても、「他人を何とかしようとするのは全部ダメ」と・・。それは後に「ニコ生なので」と言われるように、ややいい加減な感じで答えている部分はあるかもしれないが、それでも、ほぼ全てともいえるような多くのケースで言えることであるので、そのように答えられたのではないだろうか。

・技巧

このようにずらずらと並べてゆくと、ひどく乱暴なことを言うように思える。しかし、このようも述べている。

朝日新聞だったらもう少し技巧をこらして答えると思うんですけどね。まあ、あのー、ニコ生ですので、シンプルにお前が気にするなと」

朝日新聞であれば、「技巧をこらして答える」と。しかし、ニコ生なので「シンプルに」とある。ニコ生での回答は、シンプルであり、そのことは乱暴な印象を受けることと無関係ではないように思える。ニコ生ではなく、朝日新聞のような場所では、シンプルでない解答がなされるということだろう。しかし、凝らすのは「技巧」である。解答の本質は変わらないと思われる。本質はやはりシンプルなものだろう。しかし、シンプルに述べるよりも、「技巧」を凝らして述べることは、乱暴に感じさせない、受け止めやすいものになり、相談者の心の変化を促すために重要であるかもしれない。その変化とは、「お前が気にするな」であったとしても。

他人であるカウンセラーと相談者との関係の中で導き出されるのは「お前が気にするな」とう解答になる確率は非常に高いと思われる。「一番いってもしょうがないことですね。」とも言われているように、気になっているから相談するわけで、それは身もふたもない解答ともいえる。しかし、「お前が気にするな」が達成されれば相談などなくなるわけで、つまり、問題は解決したと言えなくもない。

仮に「姑に意地悪をされるお嫁さん」がカウンセリングを受けた場合、姑の意地悪を気にしなくなることが解決となる。これは、相談する相手が赤の他人であるカウンセラーであった場合の解決で、相談する相手が例えば夫だったら、親戚の叔父さんだったら、「お前が気にするな」以外の解決もあることだろう。「その人のできること」だけではなく「他人を何とかしようとすること」も解決法の一つとして挙げられてもおかしくはない。お姑さんにアプローチがなされることも自然である。

カウンセリングの場における解決法が「お前が気にするな」となることが多くなることは自然であるが、はたしてその解決法は多くの人が求めるものだろうか。その解決法は客観的に見た場合、自然な解決法であろうか。

しかし、シンプルに、乱暴にも聞こえるその解決法も、「技巧」を凝らすことでその印象は変わってくる。岡田斗司夫の言う「技巧」と「心理カウンセリングにおける技巧」は異なるものであるかもしれない。しかし、心理カウンセリングにおいても、「技巧」は確かに存在している。

今回の岡田斗司夫の受けた相談は、少なくとも相談者との間に利害関係はなく、あくまで赤の他人の第三者によるカウンセリングであるが、心理カウンセラーによるカウンセリングは必ずしもそうであるとは限らない。学校カウンセラーであるとか、職場のカウンセラーであるとか、雇われの身で、雇用側の要求を満たすべくカウンセリングを行っている例では、利害関係のない第三者、部外者というポジションにいないケースもある。心理カウンセリングの技巧について、加えて、カウンセラーが利害関係のない第三者ではないケースについては別に述べたい。しかし、カウンセリングの本質ともいえる一面は、この岡田斗司夫の解答に表れていると思える。カウンセリングを受けようと思う人は、このことを心の片隅においたうえで受けていただきたいと思うのである。