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吉成真由美『人類の未来』を読む

4年前に『知の逆転』という素晴らしいインタビュー集を出してくれた著者が、また良書を提供してくれた。

『人類の未来』 最新刊の4/10刊。

そこでは5人の、確かにこの本のタイトルを語るにふさわしいそれぞれの専門分野の叡智という対象者が選ばれているのだが、私がおおっ!と思い、即刻購入を決めたのは、「シンギュラリティは本当に近いのか?」とのテーマで、レイ・カーツワイルが入っていたからだ。現在、世界中で注目を浴びているそのシンギュラリティとはどういうものか、は後に説明するとして、インタビュアーの吉成の、対象者の研究業績を読み込んだうえでの問題意識の的確さ、質問の鋭さを再認識してもらうために、その4年前の、脳科学オリバー・サックスへの「音楽の力と脳科学」と題して書いた私の以下を、ぜひ、再読してほしい。ちなみに吉成は津田を出てマサチュセッツ工科大で脳科学認知科学を学び、NHKでディレクターをしてから、フリーになった。このインタビューは『知の逆転』での白眉だったと思う。、

音楽の力と脳科学

            2013年03月28日

人間は、生物学的、あるいは生理学的にはほとんど同じだが、「個人物語」としては、みなそれぞれにちがっている。一卵性双生児でも、それはそうである。その理由は、臓器は同じでも、脳内部を構成している神経ニューロンの活動と免疫系統は胎児の段階ですでに活発に活動を開始し、したがって双生児でも生誕時でもう違うものになっているからだという。

それらはきのう紹介した吉成真由美の『知の逆転』のなかの脳神経科医のオリバー・サックスへのインタビューで出てくる話である。

このサックスのインタビューで印象的なのは、かれが音楽をとても重視していることだ。それは脳神経科医としてのサックスの40年あまりの経験のなかにおいて、患者たちとの付き合いので、音楽の力に驚かされることが何度もあったからだ。

まず、音楽は、深い精神的失調に陥ってしまっている患者でも、それを聴いているときだけ、精神を甦らせることができる。80歳以上の高齢認知症の患者で、ふだんは無反応な痴呆状態になっている患者でも、音楽を流すと明らかにそれを聴いている表情になり、涙を流したり、心を動かされていることが認められる表情になることがあるという。それは音楽がその人の過去のある情景や記憶を呼び起こすからだ。語機能など脳のほかの機能が失われてしまっている状態の患者でもだ。

これは、音楽への反応を司る脳領域は、ほかの領域とは無関係に存在していることを示す。じっさいに言語機能など理性的な部分が損なわれてしまった人が、高度な音楽を作曲する専門家になった例もある。これらのことから、音楽脳は“特定領域的”だと理解されるようになった。そのことは、まだ言語を操れない段階の幼児でも音楽には反応し、流れる音楽により表情を変えたり、あるいはダンスをしたりなどの反応を示すことでも分かる。人間とチンパンジーの遺伝子は98・4%まで同じだが、チンパンジーはダンスをしない。

じつはこのことは、言語学チョムスキーへのインタビューでもでてくる。かれに吉成は「言語と音楽では、どちらのほうが早く発達すると思いますか?またどちらがより高度な機能だと思いますか?」と尋ね、いい質問だ!との反応を引き出した。それに対してチョムスキーは、「言葉と音楽と舞踊とは世界のどの古代民族にも見られるものなので、それが人類に生得的な能力、遺伝子であることは間違いない。それらは、人類の出アフリカの5万年前のあと、5万年前―1万年前のどこかの時点であった“大躍進”で登場してきたものだろう。ただ、頭蓋骨は発掘できるが中味の脳はそうでない。また音楽や舞踊は化石として残されていないので、何も分からないのだ」と答えている。

サックスの観察によると、そのように失語状態や痴呆状態に陥っていた人間を思わず甦らせ、また身体まで動かす音楽では、リズムとテンポという音楽のビート(拍子)の部分が重要らしい。人間の神経系は音楽のビートに思わず反応してしまう。小さな子どもを見ていると、じっさいに鳴っている音楽もしくは想像のなかで鳴っている音楽に合わせてダンスする。これは類人猿には絶対に見られない。

またこの場合、メトロノームのような単純な反復信号ではうまくいかない。機械的行進のような動きは引き出せても、即興的な自由さや優雅な動きはでてこないからである。それは音楽のリズムと動きが内面化される必要があるからだろうというのが、サックスの考えである。おもしろい。

サックスは、音楽がいかに人間の閉じ込められた欲望や記憶を体から解放し、人間に落ち着いたまとまりというものをもたらし、人間どうしを繋ぐ役割を果たしているかを、その著書で繰り返し強調しているそうだ。またこのインタビューでも、フロイトは人間の生というものを、緊張としてとらえすぎている、人間の生で音楽を聴いているときに訪れる平和な時間、穏やかな状態というものをもっと重視するべきではないだろうかと、語っている。サックスは自身うつ病を持っているのだが、そういう状態のときは、シューベルトの歌曲を聴くことにしているのだという。その時間がかれに、深い安らぎを与えるのだろう。

この話はよく分かる。私も、シューベルトシューマンが得意レパートリーのオランダの女性歌手のエリー・アメリンクを、学生のころからずっと好きだから。引退公演まで、彼女が来日するたびに必ず聴きに行った。

CDも愛聴盤だ。

サックスのこの話を聞くと、人が好きな音楽を持つということの大切さが、これまで以上に分かるだろう。

たしかに、人類が古代からどの地のどの民族でも言葉や舞踊とともに音楽を持ち、しかもそれは脳のなかで言語とは別の領域で司られ、ほかの部分が失われてしまった状態の人間にも、記憶や感情を喚起させるものであることを知ると、あらためて、音楽というものの、深い力を、思い知る。

人間は、なぜ音楽を、手にしたのだろう?

人間に音楽が不可欠であることは、何を意味するのだろう?

人間が人間であることに、音楽はどのように深くかかわっているのだろう?

オリバー・サックスのインタビューから、われわれはそのような問いを喚起させられる。