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「浅田真央選手の引退」

 奈良・中宮寺飛鳥時代の彫刻の最高傑作と言われる国宝・木造菩薩半跏像がある。レオナルド・ダビンチのモナリザにもどこか通じる穏やかなほほえみ、右手の指を頬に充てる優美な姿は煩悩を抱えた大衆の心を慰めてきた。聖徳太子の母がモデルと言われる。

 その面立ちは引退を表明した浅田真央さんを思わせる。真央さんは菩薩のような人かもしれない。菩薩は悟りを目指す人、の意味だ。でもその修業は閉じた世界で完結しない。人々と共に歩み、高みに導く存在だ。今活躍する若手スケーターは道を究めようと努力を重ねる真央さんの姿にあこがれ、勇気をもらったはずだ。

 圧巻は2014年のソチ五輪だった。ショートプログラムで16位と出遅れたが、フリーでは果敢に3回転半ジャンプに挑んだ。華麗なスピンやステップに心が震えた。メダルに届かなくても自己ベストを更新した鬼気迫る演技は、私たちの胸に大切なものを刻んだ。ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の調べが甦る。

 どこぞのお偉いさんが、「大事な時には必ず転ぶ」と見当違いな発言をした時も「縁なき衆生」などと突き放さず、笑って水に流しましたね。最愛の母を失った悲しみを乗り越え、他人には想像できぬ重圧に耐えて、人格が陶冶されたのだろう。ありがとう。お疲れさま。多くのファンが手を合わせたい気持ちだろう。

 以上が昨日の日経新聞コラム「春秋」に書かれた「贈る言葉」です。私たち多くの国民が同じ思いで浅田真央さんを見つめてきたと思います。国民のだれよりも厳しい試練に耐えて、22年間もの間ひたすら前を向いて自分の目標に挑み続けたその姿勢は、ほかのだれにもまねできない尊いものであったと思います。たぶん、けがの危険性や体のコンディションなどを考えたら、お坊さんの修行よりもはるかに厳しかったと思いますし、「世界選手権」や「オリンピック」という舞台に上がるということは、並みの重圧ではなかっただろうし、国会議員のように「撤回」も「訂正」もできない、「至高の演技」という意味で、大臣や博士なんかを超えた存在ではなかったかと思います。

 これから「世界の舞台でのご活躍」を拝見できなくなることには一抹の寂しさは残るものの、私たちの心の中には「国民栄誉賞」を超えた「ノーベル賞」ぐらいの価値を認めてあげてほしいと思いがあります。残念ながら、「時の運」から見放された面もあったのではないかと思わせる場面もいくつかはありましたが、それでも浅田さんは愚痴一つこぼさず、真摯に向き合い黙々とご自分の目標に向かって「真っ正直」に突き進まれました。日本のフィギュア・スケート界をここまで大きく引っ張って、日本スケート連盟のだらしなさにもめげず、存在感をここまで高めた浅田真央さんに精いっぱいの感謝と今後の幸せな人生への拍手を贈りたいと思います。

 ありがとうございました!!。