2017年3月22日

時という概念にどれほどの意味があるだろうか?

人と話すとして結局時間に追われるけど、話したいことは1時間2時間黙ってはじめて口を開くだろうし

目の前で繰り広げられてそれを受容してそれらが人が言うように今日明日で繰り広げられるはずもなくって

10年20年と黙ってともにすごすことも必要かもしれない。

その時間を人は無駄というだろうし、でも、それらが必要だった労使そうしないといけなかったわけで。

いつもそうだめな自分そのなんというか自分で自分を否定してしまいそうなところを肯定して相手を許すという行為を乗り越える必要があるんじゃないかって

だめなところが誰にでもあるのなら、僕は僕のふがいないところを笑って許すことが必要なら、世の中から後ろ指指されることよりもそれを気にしないこと

広告を非表示にする